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廣重東海道五十三次 小田原

(酒匂川)
領主の居城を中心に整備され東海道沿いには町屋が集中し、宿場町としての特有な町割となってます。 また、諸大名や幕府役人などが宿泊した本陣と、大名家の家臣が宿泊した脇本陣が各々四軒ずつありまし。 政令国名 相模国。現神奈川県小田原市。

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歌川広重
寛政9年(1797年)- 安政5年(1885年)歌川豊広門下岡島林斎から狩野派、大岡雲峰から南画を学ぶ。浮世絵師。
東海道五十三次
東海道は五街道の1つであり、江戸時代に徳川家康の指示で作られ、当時の首都であった江戸と京都を結んでいた。 最も重要でよく使われる街道として、本州の東海岸近くを通っていたことから「東海道」の名がついた53の宿場を指す。


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by the-fuji | 2010-02-26 08:19 | 広重
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