カテゴリ:広重( 51 )

廣重東海道五十三次 京 都

(三条大橋)
東海道は江戸・日本橋から京・三条大橋までの間、五十三の宿場で結ばれ京都三条大橋が東から来た旅人の最終と到着地点です。山城国 現 京都市

やっと京にたどり着きました。

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by the-fuji | 2011-05-01 20:58 | 広重

廣重東海道五十三次 大 津

走井茶店
奈良時代から「古津」と呼ばれ、東海道・北国街道そして琵琶湖の水上交通の重要な要でした。北陸や出羽、蝦夷地などから平安京へ送られる物資は、越前の敦賀や若狭の小浜で陸揚げされ、山越で湖北の海津や塩津へ運ばれた 近江国 現 大津市

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by the-fuji | 2011-04-05 08:28 | 広重

廣重東海道五十三次 草津宿

名物立場
本陣は国の史跡に指定されている。中山道が、ここで合流する。
草津宿は、東海道と中山道が分岐・合流する交通の要衝。草津宿には二軒の本陣、二軒の脇本陣、七十二軒の旅籠のほか、問屋場、貫目改所などの多くの建物が設けられ、多くの旅人で賑わっていた。
近江国 現 滋賀県草津市

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by the-fuji | 2011-03-26 18:00 | 広重

廣重東海道五十三次 石部

(目川ノ里)
人が一番はじめに泊まる宿場でした。上りの、保土ヶ谷宿に性質は似ているといえます。宿場の規模としては旅籠三十二軒と多く宿泊客が多かったとことを示しています。近江国現 滋賀県湖南市石部町。

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by the-fuji | 2011-03-12 10:08 | 広重

廣重東海道五十三次 水 口

(名物干瓢)
関ヶ原の戦いによって水口岡山城は落城。
徳川家は水口を直轄領と定めます。このため、亀山宿同様に水口宿も城下町でありながら幕府の直轄領という変則的な形態をとることになった。 近江国。 現 滋賀県甲賀市水口町.

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by the-fuji | 2011-03-07 07:55 | 広重

廣重東海道五十三次 土 山

(春之雨)
土山宿は、鈴鹿峠越えを終えた旅人が最初に入る宿場です。当時は、箱根峠を控えた小田原・三島と同様に繁盛していたといいます。
当時の町並みの雰囲気が今なお色濃く残っており史跡の表示も行き届いています。近江国。 滋賀県甲賀市土山町

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by the-fuji | 2011-02-28 09:18 | 広重

廣重東海道五十三次 坂之下

(筆捨嶺)
難所の鈴鹿峠の東麓にあり、上り下りの旅人でにぎわった。今では、数十件の民家と、茶畑の中に立つ本陣跡の石柱を残すのみである。 伊勢の国。 現 三重県亀山市関町坂下地区。

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by the-fuji | 2011-02-21 09:31 | 広重

廣重東海道五十三次 関

(本陣早立)
日本三関の一つ「鈴鹿の関」のおかれたところで、東追分(木崎)から西追分(新所)まで、約1.8kmの範囲が関宿。古来交通の要所であった。伊勢別街道及び大和街道の分岐点として繁栄してきた。現 三重県亀山市。

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by the-fuji | 2011-02-01 07:18 | 広重

廣重東海道五十三次 亀山

(雪晴)
宿場町であると同時に、城下町としても栄え、県下で唯一現存する城郭建造物である亀山城の多聞櫓が残っています。また、城の一部が移築再建されたお寺・家老屋敷・直角に曲がった細い路地などがあり、現在も城下の名残を留めています。現 三重県亀山市。

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by the-fuji | 2011-01-26 07:16 | 広重

廣重東海道五十三次 庄 野

歌川広重は、寛政9年(1797年)- 安政5年(1885年)歌川豊広門下岡島林斎から狩野派、大岡雲峰から南画を学ぶ。浮世絵師。

(白雨)
他の宿駅より遅れて設けられたせいか、それほど賑わいはなかった宿場らしい。今でも古いたたずまいが残っている。
鈴鹿川沿いののどかな風景の広がる平野部です。現 三重県鈴鹿市庄野町。

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by the-fuji | 2011-01-17 11:30 | 広重